---------------------------------双龍庵時代 の普賢行願讃梵本がきっかけとなった----------------------------------
学問的な研究ではなく釈迦と口業を同じくするためのもの
普賢の十願-普賢の大菩提心大定智悲は
真言行者の心をもちうべき者なり
諸仏を禮敬する
如来を讃嘆する
広く供養を修し
業障を懺悔し
功徳を随喜し
転法輪を請い
仏の住世を請い
常に仏にしたがいて学し
常に衆生に順じ
普く皆回向する
五失三不-経典をサンスクリットから漢訳にした時に起こる問題
五失−外国語を中国語に直すと語順が反対になる
内容が美文化される
繰り返し出てくる言葉が省略される
意味を確定するために言葉を繰り返すが訳文は大量に削除される
主題がかわると前のことを述べるが訳本ではすべて除かれる
三不−時に応じて聖人の説かれたことを今風に改めてはいけない
智慧のあるひとと愚人の差は大きいので翻訳を末代の世俗にあわせてはいけない
弟子のアーナンダでも努力して結集したものを私たちが平気で手を加えてはならない
日本には元来文字というものはありませんでした。
中国から漢字文化が入ってきた時に
経典も漢訳のものが入ってきました。
漢字そのものには元来,意味があって
その当時の国の文化,思想を反映します。
かえって邪魔になるのです。
慈悲ということば 慈-いつくしみ
悲は....苦しみを抜くという意味という意味だとわかるでしょうか。
日本で当たり前のように唱えられている般若心経の漢訳本も実のところ...。
慈雲 著 梵本心経の一部
尊者の説くところ眼は横についているだから経典は縦書きではなく
横書きであるものを使用すべきであると。
関心おありの個人の方でもよろしいですし
寺院関係の方でも 梵本心経を広めていただける方に頒布いたします
1冊 500円 フリ仮名がついておりません

現在 フリ仮名付を作製予定でございます。今夏以降 印刷予定
光明真言
長音 単音を正しくすると...
オンアボキャ ではなく オーンとなります
マカはマカー...以下 現在 読み慣れているのとは
若干ことなります。
大人数で読むとずれがでますが...
多数によるか正しく読むかは個々人で考えれば分かると想います。
仏教を学ぶものも,翻訳の経のみにて義をとりては,
とりそこない多し。古徳の1宗二祖たる人も,梵学にうときは疎失あるといへり。
いわんやそれより下下の人はいうに及ばぬとことなり。
今日の諸宗のとりそこないあることも。みな梵文を解せぬゆえ,
佛意を失うことおおきなり。それゆえ,上根の人はただ梵文をよんで可なり。
中下根はそれほどにあるまじければ,翻訳の経を読んで梵文をもって照しみるべきなり。